押立山(771.8㍍)の山腹にあり、石垣がどっしりとした城郭の趣を見せている天台宗の寺院。
湖東三山の中で最も古く、建立時は「くだらじ」と呼ばれていました。
飛鳥時代、聖徳太子の発願により、百済国の梵閣龍雲寺を模して造られ、暦を日本に伝えた観勒もこの寺にいたと伝えられています。
また、本尊の十一面観世音菩薩は「植木観音」と呼ばれる聖徳太子自作の仏像。
平安時代に天台宗に改宗してからは300余坊の塔頭を構え、「湖東の小叡山」と云われるまでになりましたが、度重なる大火や兵火によってほとんどが焼失してしまい、平安時代のものは現在の本尊などの主な仏像や経巻類が残るだけとなりました。
現在の本堂・仁王門・山門は、江戸時代前期、井伊氏の寄進によって甲良大工の手で建てられたものです。
<重文>絹本著色日吉山王神像、紺抵金泥抄法蓮華経入黒漆蒔絵函、金銅唐草磐、銅鈴鑼・鈑子各1具
東近江市百済寺町332/0748-46-1036
名神高速道路八日市ICから車で15分/駐車場 普通55台
湖東三山の一つで奈良時代に聖武天皇の勅願により行基が開山した天台宗の寺院。
本尊は行基の作と伝えられています。
また、源義経が義仲追討の武運必勝を願い太刀を寄進したり、北条時宗が佐々木頼綱に命じて元軍降伏の祈願をしたといわれています。
山門から本堂までサツキに囲まれた石段が続き、山岳城郭だったころの趣を今なお残しています。
石段を上り詰めたところに、当時の層の機智により織田信長の焼き討ちによる焼失の難を逃れた本堂大悲閣、三重塔二天門があります。
本堂大悲閣は、鎌倉時代の和様建築の代表とされる楼門でしたが、江戸時代に二階部分が取り壊され現在の形になりました。
三重塔は大悲閣より古いものですが、荒廃したままとなっていたため、昭和49年(1974)復元されました。
ツツジやシャクナゲの名所としても知られ、山門脇に塔頭の常照庵が草むらに埋もれ残っています。
また、厄除けのかぶら汁が接待される初観音や、大きな数珠をまわして念仏を唱える千体地蔵盆など有名な行事もあます。
<国宝>本堂大悲閣
<重文>三重塔 二天門 木造阿弥陀如来坐像(2体) 木造十一面観音立像 木造不動明王立像 木造毘沙門天立像 木造慈恵大師坐像(2体) 木造四天王像 銅磬
愛荘町松尾寺874/0749-37-3211
駐車場 普通200台
湖東三山の一つに数えられる天台宗の寺。
平安時代、仁明天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられます。
戦国時代には兵火のため荒れ果てていましたが、江戸時代中期に望月友閑によって再興されました。
門をくぐると参道が続き、山坊跡の石垣が散在しており、平安、鎌倉、室町時代を通じて祈願・修行道場として栄えたことがうかがわれます。
幸い兵火を免れ、飛騨の匠によって建立された本堂や三重塔や二天門が残されています。
本堂は、鎌倉時代初期に建立された建造物で、釘を一本も使わない純和風建築。鎌倉の様式がよく保存され、国宝に指定されています。
本堂の右方に立つ三重塔は、総桧の優美な姿の塔といわれ、初層内部に極彩色で金剛界の三十二菩薩など鎌倉時代の極楽浄土が描かれています。
本堂と同じく釘を一本も使わない純和風建築で、国宝に指定されています。
正面両脇に増長天、持国天を祀る二天門は、室町時代に建立され、重要文化財に指定されています。
また、紅葉の名所としても有名であるが、不断桜があり、紅葉と桜を同時に見ることができます。
<国宝>本堂 三重塔
<重文>木造薬師如来立像 木造釈迦如来立像 木造不動明王および二童子像(3体) 木造二天王立像 絹本著色十二天画像 錦幡 石像宝塔二天門
<史跡・名勝>西明寺本坊庭園
西明寺
0749-38-4008 駐車場 普通50台
スマートインターチェンジ?!
スマートインターチェンジ(SIC)は、高速道路の本線やサービスエリア、パーキングエリア、バスストップから乗り降りが出来るように設置されるインターチェンジで、通行可能な車両を、ETCを搭載した車両に限定しているインターチェンジです。
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